So, So(とてもひどかったという意味の)

ぼくはキーボーディストとしてはとても機材(キーボード)を買わない方だったのではと思う。少なくとも今までは。
特にこの10年か15年くらいはほとんど3台のメインのキーボードで仕事を回して来た。
その3台が、ほぼ時を同じくして、最近お亡くなりに(?)なった。というか、お亡くなりになった、と判断せざるをえなくなった。
ずいぶん前から、調子が悪く、何度も修理に出したり、自分でネジをはずして中を空けて調整したり、いろいろしてたが、もういろんなところがガタがきて、もう無理かなぁ、と思いつつ、愛着もあるため、捨てるに捨てられず、ずっと家にただ置いてあったが、そろそろお分かれしようと決心した。
というか決心するために、この文章を書く事にした。
お葬式で読むお別れの言葉のようなものだ。

3人も相棒が亡くなったので、順番に。今日はまずは、Triton Leさんについて。

いままで会った多くのキーボーディストの人は、まず大体車を持っている。キーボードを運ぶために。そして、車になにかあったときのための替えの(同じ機種の)キーボードを積んでいる人さえいた。また、多くのキーボーディストの人は研究のために、もしくは、趣味で、いろいろ新しいキーボードをとっかえひっかえ試したりする。
ぼくは、どっちもうらやましかったが、まず免許がないのと、お金がないのとで、「軽いキーボード」を長く使う、というのがキーボードを選ぶときに求められる必須条件だった。
つまり「軽くて使い回せて丈夫」というのが選ぶ第一条件。
ふつうは第一に音質や音色の好みや機能で選ぶのだが、ぼくの場合はそれももちろんあるけれど、それだけでなく、「機動性」が最重要だった。

80年代以降のレゲエのピアノの裏打ちにはかかせない(と僕が思っていた)KORGのM1というキーボードの音がほしくて、それと同じ音が入っていて、それでも持てるキーボード、、と探して買ったのがこのTriton Le(トライトン・エルイー)だった。
M1自体の方がピアノの音としてはずっと重たさがあってよかったのだが、そこはがまんした。音が重いだけでなく、M1はキーボード自体もものすごく重かったからだ。とても2台は持てない。
でも、ジャマイカのキーボーディストを見て自分がどこが一番好きだったかというと、「チープな音のキーボードでもかっこよく弾いてしまう」のりのよさ、だったから、「多少、廉価版のキーボードでもよいのだ」と自分を納得させていた。
だんだんそれは、納得するだけでなく、なんとなく自分のへんなプライドというかスタイルになっていった。「安っぽいキーボードでもかっこよく弾こう!」と常に思うようになった。

Triton LE というのは、Triton(トライトン)というこれまた有名な(M1よりは時代はずっと新しい)キーボードの、いわば廉価版、ファミリー版(?)みたいなもので、Triton自体よりは軽くて安くて音数も少し少ない。たばこで言うところの、キャスターマイルドとか、コーラでいうところの、ペプシ・ライトとか(そんなのあったけかな)、そんなようなものだ。
だから、これを使い始めたころは、「なんでLeなんですか?」とか現場のスタッフに聞かれたりすることがあった。
たとえば、たまに大きいツアーがあって、好きなキーボードを現地レンタルできるなんてときにも、自分の持ってる使い慣れたものと同じものがよいから、楽器担当の人に「なにを用意しますか?」と聞かれて、「Triton Le 2台でお願いします」なんていうと、
「え?Tritonじゃなくて、Leですか?Triton頼めますよ。Leにしなくても。」
「いえ、Leがいいんです。使い慣れてるんで、、」
「えーと、でもLe  をあえて使う方はあんまりいらっしゃらないので見つからないのですが、、」
なんてことになったりした。
あれは、廉価版でステージで使うものではないですから、、と、笑い飛ばされてしまったこともあった。
でも「他の人にとってチープなキーボードと見られてても、慣れてるものを使うのが自分のスタイル」ということには、勝手にプライドを持っていた(というかそう決めないとどうにもならなかった 笑)ので、「いや、絶対Triton Leでお願いします」と突っぱねて、楽器担当の人がこまったあげく、Leをその機材レンタル会社の新しい機材として買ってくれたことすらあった。いまから考えるとほんとうにありがたい話だ。というかわがままだったなぁ、と思う。

実際のところ、廉価版のためかちょっと音が軽いなぁ、という音色もあったりした。そういう場合は、プログラムをいじってちょっと重さを加えたり、いろいろ工夫をしないと納得できない場合もあったがそうやって作ったいろんなパッチ(音のセットみたいなもの)がたまっていくのが楽しかった。

そして、いろんな思い出がある。今でも忘れられない音楽についての思い出。

そのころ僕は大体普段は、ぼくは東京に住んでるアフリカ人やジャマイカ人の人たちのバンドで飲み屋さんや、パーティーなどで演奏するのがメインの仕事で、たまにジャマイカから来たアーティストのバックをやらせてもらったりしていたが、はじめてMINMIという日本人レゲエアーティストのバックで、仕事をさせてもらったときのことだ。
基本レゲエは(というか「僕が考える」レゲエは)、「自分の手で弾けないものは弾かない」というのもひとつのプライドというかポリシーのひとつと思っていたが、MINMIの曲でどうしてもこれは2本の腕では弾けない、という曲があった。
そのときまではぼくは知らなかったが、日本のポップス業界の場合はそういう場合はどうするかというと

①もうひとりキーボーディストを入れる

②シーケンサー(コンピューター)を使う

のどちらかにしましょうってことになることが多いらしいのだ。①は予算とかの問題があってその曲のためにもうひとり人員を増やすというのはなかなか難しい場合が多いので、②にしないか、という話になることが多い。(ということをぼくはそのときに始めて知ったのだ)。
コンピューターで作ったオケを流してそれに合わせて弾くというのはその後もなんどか日本のレゲエの現場で頼まれた事がある(これを「同期」と呼ぶ)が、ぼくは基本的にあまり好きでなかった。
「同期」と「あてぶり」は絶対やらない、というのがポリシーだった。
あてぶり、というのは実際は弾いてないけど、映像のために弾いてるふりをすることだ。
同期はやってできないことはないけれど、あまり楽しくはないし、やっぱりLive & Direct というレゲエの大事なキーワードの一つである言葉が表している、直訳すれば「生(なま)で直接!」という精神がぼくは好きだったし、そのときにもなんとかひとりで弾いてやろうと思った。
で、結局どうしたかというと、右手の親指でストリングスの音を弾きながら、他の指で、エレピの音を弾く、しかもエレピの音も一つの鍵盤を弾いたら二つ以上の音つまり和音が出るようにプロミラミングしておく、そして左手でピアノを弾く、というようなことをしてなんとか解決した。
MINMIの仕事をきっかけに、しばらくそういう、「ひとりでどこまでたくさんの音を弾けるか」みたいなことをやってみていたが、(つまり打ち込みで作られた曲は重ねてある音色の数がすごく多いのだ)あるときふと、これはあれに似ている!と思った。
それはなにかというと染之助染太郎?だっけ。あの、お正月に出てくる、傘の上で升を回してごらんいれます〜みたいな芸人さん。なんかああいう、職人的な気持ちになってくる。もちろん染之助染太郎さんみたいにまですごいことをやってるわけでもないが、なんかやってる気分の中に「いつもより多く弾いております!」みたいな気分が含まれている。

しかし、あるとき、ちょっとせつなくなる出来事があった。
一回MINMIのライブが終わって見にいてくれていたポチくんというキーボーディストの友達に感想を聞いたとき、「あの曲は、同期つかってたでしょ?ひとりじゃ弾けないもんね」とさらっと言われた。
「え!一人で弾いてたんだよ」
と言うと
「そっかーぜんぜんわからなかったな」
とこれまたさらっと言われた。
ガーン!ひとりで弾いてたのに!と思うと同時に、「それもそうだよな、独りで無理して弾けたところでそれがなんなんだろう?」と考えさせられた。

そしてその後、またあるとき、それに関してより本質的にショックなできごとがあった。ショックというか、とても胸にズガーンときたことなのだが。
L.U.S.T.というジャマイカのアーティスト(ルーキーD、スリーラーU、シンギングメロディー、トニー・カーティスの4人組)の日本ツアーのバックをしたときのこと。
ぼくは張り切ってたくさんの音をプログラミングして、本番もいっしょうけんめい弾いたのだが、そのライブが終わったあとのこと。
ぼくが「ふーっ、終わった、、」と思って椅子に座ったのもつかのま、あるお客さんが、たぶん日本在住のジャマイカ人の人だったのだと思う、がぼくの前に来て座った。しゃれたメガネをかけていた。友達と二人だったと思う。なんだか、とてもさりげなく、さりげなさすぎて、え?と思うような感じで気づいたら僕の前に二人が座ってにこにこしていた。
彼は、グラスに入ったお酒をゆっくり飲みながら、しばらくしてから、かなり上手な日本語でゆっくりとぼくに話しだした。
「きょうのライブはどうだった?」
急にお客さんの方から聞かれて、ぼくはすぐ答えられずに、ちょっと間が空いた。そして、「楽しかった」というようなことをたぶん言ったのじゃないかと思う。
そしたら、彼は続けて、
「ジャマイカ行ったことある?」とぼくに聞いた。
「いや、ない」とぼくが言うと、彼は、
「ジャマイカのライブはほんとうにすごい。たぶんあなたは知らない」と言ったあとで、ゆっくりと間を置いた。ぼくは何も言えずに黙っていた。
まわりにはライブのあとの音楽と人々の騒ぎ声が満ちていた。
しばらくして彼がゆっくりと言った。
「悪いけれど、今日のライブは、」と言って、手のひらを下に向けて、
「so,soね」
と言った。
英語の、so,soと、ぼくに向けたやさしさの「ね」。
英語の意味はたぶん「まぁまぁ」という意味だが、しぐさは、あきらかに「ぜんぜんよくなかった」という意味だった。手のひらがしっかりと下を向いていた。
ぼくはギクっとした。
そして、彼は続けた。
「あなたは、たくさんの音をキーボードで弾いた」と彼は言った。
「ギターの音をキーボードで弾く。ブラスの音をキーボードで弾く。あなたはたくさんの音キーボードで弾いた。」
そして、ぼくの目をじっと見て、
「でもオルガンだけでもいい音楽できる。」
「わかる?」
と彼は言った。
しばらくの間、それはほんの1秒か2秒だったかもしれないが、ぼくの目じっと見た後、彼はふいに、
「とにかく、今日のライブはSo,So。ごめんね。じゃあ、向こうで楽しんでくるよ。」
そういうと、彼の友達もリズムを合わせたように立ち上がってどこかへいなくなった。

あきらかにそれは、「期待してきたけど、残念だった。そしてそれはあなたのプレイに問題がある」というメッセージだった。
もちろんのことだが、ぼくはすごく落ち込んだ。
と同時に、なんだかそういう音色のプログラムにばかり夢中になっていた自分についてすごく考えさせられた。
今考えると、ほんとうにありがたいメッセージであった。
もちろん、そう思えたのはしばらくあとになってからだったけど。

もちろん、仕事によっては、いろんな音を出さなくてはいけないこともある。でもそれをどう省略して、少ない音色で「いい」演奏をするか、というのも大事だな、とはっきりそのときに思った。元曲を再現することに夢中になってはいけない。
音色の数について考えるときは、今でもだいたい、そのときのメガネをかけたジャマイカ人の顔が出てくる。
しかし困ったことに、ついつい元の通りに音を増やしてみたくなったりするくせは多分いまだに抜けていない。だから今またその同じジャマイカ人が演奏を聴きに来ても。
「まだ同じことをしてるのか。」と言われるかもしれないな、と思う。

もともと、レゲエは、というか音楽は、「音を出してないところ」で語るものだ、とはよく言われる。それが真髄なんだと思う。たくさん出したからいいってもんじゃない。
しかし僕はいまだにその域には行けていない。
が、そうなんだと思う。

頭の悪いぼくはやってみないといろんなことが体に沁みない。よく頭がいいですね、と僕に言ってくる人がいるが、自分でほんとに自分は進みの遅い人間だな、とつくづくよく思う。
そのときも、とことんたくさんの音を出すのにはまってみて(笑)結局そんなことに気づいたのだったが、それでもそんなにすぐはそういうくせはなおらないのだ。

とにかく、そんなわけで、このTriton Leには、そんなプログラムがやたらといろいろ入っている。
今、捨てようとしてそういう自分が作ったプログラムを弾いてみてると、すごく笑ってしまう。はしからはしまで指でなぞると、いろんな音色が出てくる。よくこんなに並べたなと自分でも思う。たしかにちょっと病的かもしれない。
でもどこか、なんだか昔のアルバムを見ているようだ。
そして、キーボードの上には、ところせましと、「あんちょこ」つまり試験でのカンニングペーパーみたいな紙が貼られている。本番直前にどうしても不安なことをメモしてはったり、曲順の紙をはったりしてたものが2重3重に重なっている。そういうのも張ってるとよくジャマイカ人とかアフリカ人に「そんなの見てるようじゃだめだ」と怒られたものだ。かなり劣等生としての自分。
そして、いろんなところでもらったステッカー。いろんなところに一緒に旅をした。

本当に長い間お疲れ様でした。そしてさようなら。

また、今度、あと2人のお亡くなりになった相棒、ノードエレクトロ(初代)、と、Yamaha CS2xさんについても書きたいと思う。それぞれに違う思い出がある。

tritonle

(2014.11.30)

2014-11-30 | Posted in SentenceNo Comments » 

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