ピアノレッスン・曲作り・オフィスケパサキ

新しいピアノレッスンの生徒さんがきてくれた。

いつものように、
コードの基本。
そして、ピアノの奥が均等に並んでいること。
ピアノの表面を撫でて触ることの意味。
ピアノの鍵盤の深さについて。
ダンスとの関係。
などを説明。

昔から一緒にレゲエのバンドでライブをしたこともある、ボーカルの女性。
ダンスができる人はやはりピアノの触り方を覚えるのが早いなぁ、と改めて思った。

曲作り。Yarnの始動に向けて。
曲を作るのは楽しい。でも大切なことは何か、を考えさせられる。

夜は、オフィスケパサキ。ケパサキのサイトを更新することができた。
そのあとは誕生日会で中村さんがお赤飯を作ってきてくれた。嬉しい。

いろんな話が久しぶりにできてよかった。

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寝る前に思うこと。
人はそのときそのときで思うことが変わる。
調子が良い時もあれば、悪い時もある。
その波によって、目の前にいる人への対応も微妙に変わる。誰しもある程度そんなところがある。

相手が、自分に向かって話しているのか、
それとも、何か「世間」という何か大きなものに向かって話しているのか、
自分が何かその「相手にとっての世間」の一部として話をされているように感じる時、とても孤独に感じる。誰しも多分。
自分も何か大きな分類の一部でしかないのか、、と。

改めてそういう意味で僕はレゲエという音楽が好きなんだなぁ、としみじみ思う。
もう今はレゲエでないジャンルの音楽をやることが多くなった。
しかし、僕にとっての、レゲエは、ジャンルではない。「ひとつひとつへの音へのリスペクトを忘れない」という哲学だ。
それは、全体とは関係がないところで相手をきちんと見ることができるようになる練習のような音楽だ。
優劣はない。キャラだけがある。

どんなに世間の価値が色々変わっても、どんなにすごいものや、すごい人が現れても、
私とあなたの今の関係にはなんの影響も及ぼさない。
いま現在や、いま目の前にいる相手、それ以上のものはどこにもない。
それ以外のことは全て忘れて相手と現在を聞く。それ以外にすべきことは一切ない。
だから、自分も何かより優れる必要は全くない。そんな必要はゼロだ。
そういう意味で自分が、そして相手がある程度ダメであったり月並みであったり、抜けてたりすることは本当にいいことなのだ。それでいいと思っていることがとても重要だ。
「どんなに素晴らしい世界が来ようとも、すごい革命を起こせても、そんなことより自分が自分らしくダメであることの方がよほど重要だ。」
(これは随分逆説的な言い方だけど。)

でも、相手との関係、目の前の音との関係というのはいま、まさにいつもここにある。
それは本当に優劣ではないのだ。いつも。

2018.3.27

2018-03-27 | Posted in DiaryNo Comments » 

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