いくつになっても


いくつになっても、人に向かってキレ気味に説教をする人、というのがいる。

友達のミュージシャンでバーのマスターが以前なにかを相談したときに
「そうですよね。大人になって怒られたくないですよね。」
と言ってたが、それにぼくはいまでも100%賛同する。よくこのセリフを思い出すのだ。

それがいくつから上の年齢を指すのかは知らないが、ある程度以上の年齢をこえたら
(僕はもう小学生ぐらいでそうなんじゃないかなぁと思ってるのだが)
「その人はその人でちゃんと考えてる」のだから、いくら自分の尺度でなにか間違っていても
上から説教したり、批判したり、さとしたりする必要はないのじゃないかな、と思う。
「お願い」すればいいじゃないか。自分がそうほんとうにしてほしいなら。
でも死ぬまで年下の人には説教していいものと思ってる変な人もいる(笑)

特に友達うちではほんとうに怒る必要がないのに、とつい思ってしまう。
でもほんとうは町で出会うどういう人に対してもそうしてあげれたらいいんだろう。
ただ、そうもいかないときというのもあって、ぼくもたまにお店の人とかタクシーの運転手さんとか、その日にはじめてあったひとにすごくいらいらしてしまうときというのもある。
でもずいぶんそれも減ってきた。

この、「大人になって誰にも怒られたくないですよね」というのに基本的なところで「そりゃそうですね。あたりまえですね。」と同意できる人とはたいてい仕事がスムーズにいく。
そうでない人とはいろいろ面倒なことがおきることが多い。
ほんとにあきれるほどそれだけのことなのだ。

基本的なリスペクトと、自分と人との違いがわかっているかどうか。

ぼくはぼくで、若い頃はそういう「めんどうな人」といちいちケンカしたりしていた。
(笑 それじゃ結局同じ土俵なのだが)
でもさすがに最近は、上から言われてカーっとこっちも来そうになる寸前で、すごくしみじみと思ってしまうことが増えてきた。年をとったのかもしれないが(笑)

それは、

「人が怒ってるときに言ってることは、だいたい自分本人のことだ」

ということがなんとなくわかってきたからだ。

特に「あなたはこうすべきだ!」という人は、ほんとうは自分がそうすべきだと思っている。自分のことなのだ。怒っているときにその人が言っていることは、自分の考えを述べているのだ。
世の中はこうでなくてはいけないのに!というのは裏をかえせば、「私はこうでなくてはいけないのに!」という根深いコンプレックスである。

誰かに「あなたはこういう人だ!!!」と言われたりすると、若いときはだいたいガーン!!とショックを受けて、そうかぁ、自分が悪かったかぁ。。と思ったりしていたが、最近は
「なるほど、そう言ってるこの人自身のことかぁ」
「あぁ、そうかこの人が、こういうふうになりたくないと必死に思ってることがあるんだなぁ」
とか
そんなふうに思って見れるようになってきた。
そう思ってみるとだいたいのことはなんとなくしみじみしてしまうものだ。戦ってるんだなぁ、なにか僕には関係のないところで。

だいたいの上からの物言いは、言われた方が気にすることはなくて、言った方の人が感じている
「トラウマ」なのだ。
若くてよく誰かに怒られてる人にはほんとにこれを読んでほしい。

そういうトラウマがなければ、いくら自分の尺度から考えて相手がそれと違う!と思ったところで、それを相手に(特に上からの物言いで)訴える必要などだいたいの場合ないのだ。
だって違う人間なのだから。どうしても必要があるときは丁寧にお願いすれば済むことだ。

お互いちゃんとわかっていて、なにが起きてももめないで済む。それは、大人になることの一番ステキなことの一つかな、と僕自身は思っている。まわりが平和な人ばかりというのはほんとうにストレスがなく幸せなことだ。
99%の人はいい年になればそんなことはみんなわかって平和に暮らしている。

でもいまだにそうでない人はいまだになにかを抱えて苦しんでいるということだ。
でも悲しいかな、相手を大人に扱えない人は、本人もそのようには扱ってもらえない。
大変だ。

そう思うと何かできることはしてあげたいな、とは思う。

2018.7.11.

 

 

 

 

2018-07-11 | Posted in EssayNo Comments » 

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