空き地

「孤独」とは文字通り、何者にも染まらず、天真らんまんで自由であり、そうしてばらばらではなく一個の全体として、凛としてそこにあることである。
ー クリシュナムルティ

ぼくは特にスピリチュアルな人というわけでもないので、なにかを信奉したり、同じことを思い続ける根気のようなものはあまりないけれど、このクリシュナムルティの言葉はほんとうにそうだな、とよく思う。

 自分の孤独を見つめられないときに、まわりとうまくいくことはまずもってない、というのが人生の大きなおしえの一つかな、と思う。

 ギルバート・オサリバンのAlone Againという曲の歌詞を読んだときに驚いた。なんだか曲調だけでアメリカの50年代か60年代かのおしゃれな恋愛かなんかの歌かな、と思っていたら大間違いで、まさにそういう「孤独」に戻ることについての歌だった。
親が死んで、孤独に戻る。自然に・・
そんな結構深刻で、かつやさしいことについて歌っていた。歌はすごいな。

 家に帰る途中に空き地があった。いままで2回別の場所に、前にあった空き地はそのあとになんだかそこそこでかいうちが建ってしまった。
最近また、その前までくるとよく立ち止まる空き地があった。ついに昨日なにかを建てる工事がはじまってしまって、僕用のたちどまる場所はいまはなくなってしまったけど。

 とくに夕方、もしくは夜に、ひとりで歩いてきて、急にその道路の右側になにもなくなって遠くの景色が少し見えるとこまでくると、どうしてもしばらくたちどまって見つめてしまう。それがなんだか日課になっていた。
 ここの景色が好きだな。。と一度思わずつぶやいてしまったときに、自分で、??と思った。だってその空き地の向こうに見えてる景色は別段、すごくきれいというわけでもなかったからだ。
 うーん・・
 しばらく見つめているうちに、ふと、気が付いた。
 「あぁ、そうか、ただ、ここはなにもない場所なのだ。」
 それが、こんなに安らかでほっとするものなのか。

 音楽は実はずっとそのうしろにある沈黙を聴いているのだ、とはよく聞く話だけれど、その言葉の意味するところはとても深い。

 なにもないことを見たり、聴いたりする。
 それが、ほんとうは一番の安らぎなのだ、と思う。

まったく同じようなことを最近、歩く道の途中の犬を見ていておもった。
 犬と犬はよく散歩の途中に喧嘩したりする。
 わん!わん!わん!
 「おまえ、なんやねん!なんでそんなこというんや!」
 と言っているようにも見えるし、
 「おお!おお!おまえにあえてうれしいな!誰やおまえ!」
 と言ってるようにも見えるし、そのへんはわからないが、しきりとお互いに、わん!わん!わん!と言っている。
 しかし、たまに思うのだが、道すがらにある家の前に犬小屋があって、いつもかわいい雑種の犬がそこでじっと寝ていたり、じっと前を見つめていたりする。
 「こっちがおまえの現実だよな」と思う。
 犬はそういうときに、「あいつのせいでおれはこんな目に・・」とか「あぁ、あいつに会いたいな、、」とか思うだろうか?笑 そんなことを考えたら笑ってしまう。そういうの似つかわしくない。
 人間はなんだかいつも人間関係のことを考えている気がする。それはほとんどの場合、ほんとうの目の前のものをひとりで見つめられてないだけのことが多い。
 孤独は安らかだけど、どうしてもそこから逃げたくなる。
 けんかしているときや、誰かのことで頭がいっぱいなときは、犬がうちに帰って、犬小屋で、そんなことを思っているところを考えてみたらいい。
 ちょっと笑ってしまう。
 ただ、じっとしている、それは人間にとってなかなか難しいことなのかもしれないけど、やってみたらそれほど安らかなことはない。

 もちろん、ある程度のバランスは必要だろうけど。
 それもバランスでしかない。

 大事なのは、空間だ。と思う。

 2020.6.27






2020-06-27 | Posted in DiaryNo Comments » 

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