Diary

スピード、情報、発想

人はいろいろだ。

スピードをすごく大事にする人もいるし、
情報の多さで勝負する人もいる。
発想の豊かさとか。。

わりとそういうタイプの人と仕事してると、
なんか、ちらちらと、
「もっとあなたもそういう風にしてくれませんか?」
というメッセージを(勝手に?)感じて焦ってしまうことがある。

いろんな工夫を勧められたり、
あるいは、決断が遅いですね、と言われたり
最近もいろいろそういうことがあった。

で、自分を振り返ると、
最初に思うのは、
「そっかぁ、もっと工夫しないとだめかなぁ、、、」
「決断力早くないとだめかなぁ、、」
ということなのだが、

落ち着いてよく考えると、
だめかなぁ、、
とおもってる時点ですでに
本音は
「工夫するとそんなにいいの?」
「決断力早いとなんかそんなにいいの?』
と思ってる、、ということなのだ(笑)

といって相手の言ってることを聞いてないわけではない
いったん自分のことは置いておいて
そうかもしれない・・・
とちゃんと思ってみることが多い。

しかし、それでも、そうか!そうしたい!
と思わないことはできないし、
できないことをしても結局みんなに迷惑をかける。

人はみんな違うのだった。

うまく言えないのだが、
自由になる、ということは
工夫する、とか、どんどん行動する
ということとはちょっと違うなぁ、、と自分としては
思っている。

結構時間がかかることというのも大事だ。
すぐ結果が出ることばかりではない。
工夫というのは意外と長い成長にはつながらない。
スピードもそうだ。

そんな風に思っている。
まぁ、要はのんびりしているのだな。

お互いに余裕はない。
しかし、急いで解決するか
急がず解決するか
それは両方とも均等に可能性がある。

そのことを教えてくれたのは
いろんな人や
そして
ゆめきちのおかげだ。

急ぐのと急がないのは意外と同じ意味だったりする。

20191019

2019-10-19 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

ロルフィング・開かれること

体のことは昔から興味があって、まだ野口三千三先生が生きていたころに野口体操の講座に行ってみたり、
古武術の甲野善紀さんの音楽ワークショップに行ってみたり、そこから知った甲野さんが影響を受けたとされる中国最強の拳法と言われる「韓氏意挙」の講習会に顔をだしてみたりした。
拳法系のワークショップは基本は、武術をやる人が来ているのに、ぼくのようなある意味「拳法」という観点からみたら、へなちょこな初心者もちゃんと親切に入れてくださってうれしかったです。
また、もともと瞑想や禅には興味があったからそういう本とかも定期的にずっと読んだりもしている。

でも、いずれにしても、それほど本格的にやろう、という気ではなく、どこかピアノの演奏につながるので
おもしろいなぁ、とおもいつつ、だらだらと自分の趣味みたいになっていた。

そして、最近出会ったロルフィング。

これはそういういままで興味のあったそれらの体のいろいろなことについて
知っていたこと、もっとできるようになりたかったこと、なぞだったこと
などのいろいろなことを、急に目を開かせられて、
あぁ、野口体操も、甲野さんも、韓氏意挙もこのことを言ってたのか!
と、なんだかいままでの長年の興味を、ここにきてまた
一気に加速させる、とても衝撃的なものになっている。

まさに、マイブーム。

たくさんのことがありすぎて、ここでひとつひとつ書いていくことはできないし
まさにそういう細かい努力をしない(笑)ところがあるのですが、
ひとつだけ、詩的な表現が浮かんだので記しておこうと思いました。

やはりいままでどこかで
丹田を中心としたバランス
とか
力を抜くこと
というようなことを、ずっと思ってはいたが、
それも、どこかやはり自分でコントロールしようとしていたように思う。

しかし、やはり違うのだな。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「体は通り道・開かれる」
体は通り道。
体のすべての部分が協力して何かをする、、、とは
それを自分がコントロールすることと思っていたが、
自分のすべてが通り道となったときには
むしろ自分がいなくなる・・
いや、いなくなるのではなく、
開かれる。
空間に向かって開かれる、ということ。
目の前の空間も
私の背中の後ろの空間も
そしてたぶん目の前のあなたも
どこかもう
私自身と等しく
すべて重力でつながって動いている
それに耳を澄ますこと

2019.6

2019-06-03 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2019.1.30 下見

別府の高齢者施設2カ所を下見。3月にワークショップをする予定。
同じ敷地内にある2カ所の施設。
施設の方が3人応対をしてくださった。
一カ所は、ケアマンション。かなりアクティブなご老人が入居している。アクティブな世代は、ワークショップ、つまりみんなでなにかをしますよ、、、という催しの方が尻込みしてしまいがち、とのこと。
しばしば、みんなが食事をする場所でコンサートのようなことはしていて、それを見にきたい人が選択して見にきているとのこと。
目も肥えているし、なかなか批評眼もあり、手強そうなお客様、、という感じのようだ。
ホールにいくと、カワイのグランドピアノがあり、ふきぬけになっている広場は2階から見下ろすこともできるとのことで、下まで降りて来ないで上からこっそり見ている人もいつもいるらしい。
コンサート形式にして最初は演奏を聞いてもらい、途中からいっしょに歌ってもらうコーナーなどを盛り込み、最終的には楽器をお配りして参加してもらう・・・というような感じにしよう、と決まった。
もう一カ所は、特別養護老人ホーム。これは、しばしばやっている、一カ所で「音の砂場」的なことをして、そのあと、すべての廊下を練り歩く形で、音楽を届けにいくことにした。今日も、すべての廊下をケンハモをもって歩きつつ、ところどころで演奏をした。それぞれの棟にはご老人たちが集まって過ごしている居間のような場所があり、そこで少しだけ演奏をすると、すごく聞いていれる場所もあったし、まったく聞こえてなくてみなさん寝ているような場所もあった。
とてもすてきな中庭があり、そこでも晴れてたら演奏をしよう、ということに決まった。

その後、別府に戻り、片岡師匠も合流。別府プロジェクトの、立花さん、家入さん、綾木さんと5人でみのりで食事&飲み会&打ち合わせ?。
かなりいろんなお話をする。
そして、久々の山田別荘へ。

片岡師匠をしばし部屋飲み。
すばらしいお話をいっぱいする。いつも翌日にはなにを話したかおぼえていないから、一番印象に残った話だけ書いておこう。

いろいろ困ったことや、どうしてそうなってしまうのだろう?という人間のくせ。とても単純に怒ったりする。でもそういうものを敵対しするのでなく、それこそが「きらきらしている」<神秘>のあらわれ、と見ることしかできないし、実際そうとしかいえない。
だからこそ、大事なことは、困ったことに対処したり、その土俵でなんとかしようとするのでなく、10年後にはすっかり大人になるこどもたちに、「楽しいことがある」という選択肢を見せること、すなわち、自分が楽しくやること(笑)だ、、、という話。
そして片岡師匠がつねづねよく言っていることだが、こどもたちには、「教わりにいく」という姿勢がもっとも大切。教わりにいくことを楽しむ。それ以上のことは実はなにもない。

考えると、最近ワークショップのアドバイザーやトレーニングをする人、という不思議な(歳をとった経験者としての?)役割が増えてきている。それも、割と高齢者向けのワークショップはとても多いが、自分が直接こどもたちに向けてワークショップをする機会が減ってしまっている・・・
うーん、どなたかこどもたちのためのワークショップをする機会があったらぜひ誘ってください。
いつまでも現場にいたい。

京都に帰ったあとは、東京に行ってLampのライブだ。

2019.1.30

 

2019-01-31 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2018年後半の学び。団子。クライアントセンタード。自由について。

2018年後半、10月以降くらいの私生活や仕事を通じてあらめて痛感した二つのこと。

①人との間には適度な空間と間が必要。人は団子ではない。くっつきすぎると問題がおきる。

②クライアントセンタードアプローチ(来談者中心療法)に学ぶ。
面倒を見る方が依存している。この娘は私がいないとだめなんだ!という親と、なかなか自立できない娘がいる場合は、実は依存しているのは、親の方である、という話。
そして、依存するものが依存から自由になるには、実は対象に対して無力である、ということを知ることがスタートという話。
アルコール依存症者は、「アルコールをやめられる!」とがんばっている間は実はやめられない。
「私はアルコールに対して無力である」と気づいてはじめて、「今はアルコールが必要なのだ。感謝しよう。」となり、「少しずつ減らそう」ということが可能になる。
さきほどの親の例でいうと、「私は娘に対してなにもできない。無力なのだ。」と気づいてはじめて、「娘がいることに感謝しよう。」「娘を尊重しよう」という風になる。

①②ともに、すごく大切なことだが見過ごしがちなポイントだな、と思う。

①まず、なにかするときにひと呼吸待ったり、少し人と距離をとる大切さ
②本人が選ぶまで待つ。よけいなリードをしないことの大切さ

の二つをあらためてすごく大事だなと思う。

両方とも「自由」の大切さのことを言っていると思う。

命は、「自由」がないと生きられない。
命は、「自由」があたえられないと、しぼんでいって、死んでしまう。

間と、呼吸と、距離と、自由。
それは、音楽にとって一番大事なものについての話でもある。

しかし概して、人間社会は、それと逆の方に働く場合が多い。自由な空間をどんどんと言葉で埋めて行く。それは一見ゴールに近づいているようで、ただ命をしぼませていることが多い。

なぜだろう。
ひとりひとりが、ほんとうのところは不安だからだ。
でもいちどしがみついたら、手をゆるめることはなかなか難しい。
自分が依存している、自分が空間をあけることを恐れている、ということに気づくのは難しい。
ほんとう音を聴くことはそれを手助けする。
音を聴くことは、自由の始まりを手助けする。

2018.12.31.

2018-12-31 | Posted in Diary, EssayNo Comments » 

 

ゆめきちありがとう

いつも自分でいること。

弱いときも。

工夫せず、隔たりなく、繕わず、まわりにいつもそれをあらわにしていること。

それを教わったのだ。

いつも。

 

勇気は強がることじゃない。

形を作ることでもない。

人を選ぶことでもない。

 

2018.6.11

 

 

 

2018-06-11 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2018.5.4 毎月第一金曜日 世界で一番小さい盆踊り Sampoyoshi@Kyoto Reggae Bar “Rub a dub”

(2018.5.4)
今年から急に活動が活発化してきたサンポーヨシ、いままでの地道な活動が実っていく(これから 笑)予感がする。

今年はじめくらいから、レゲエバー”ラバダブ”で、毎月第一金曜日に、サンポーヨシが「盆ダンス」ナイトをお送りしている。

ぜひ見に来てほしい。おそらく、世界で一番小さい盆踊り。バーのテーブルのまわりをみんなで輪になっておどっています(笑)
しかも、外国の方の比率が高い!!みんな最初は、どうやって踊るんだろう?と見ていますが、最後のほうは全員でおどってます(笑)絶対楽しいので来て欲しい。

写真は、5月4日(金)の夜のぼくのキーボードセット。盆踊りバンドを思えないエレクトリックな感じ。

そしてこの投げ銭入れに使われている入れ物の名前が
サンポー
!!

2018-05-09 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

Lamp リキッドルーム 。感謝と、迷い続けてどこかに行く音楽。

何かを誰かに伝えようというのはなかなか大変なことだ。

この3日東京に滞在して、Lampのリハ、東京音楽大学でのWS、そしてLampリキッドルームライブというスケジュールだった。

Lampのライブが終わって一番思ったことは、ほんとうにバンドというのは(Lampはサポートメンバーで正式メンバーというわけではないけれど、それですら・・・)時間をかけることでほんとうにいろんなことが進んでいくのだな、ということだ。
音の粒の大小や楽器のタッチの話、ゴリゴリしたグルーブの強さと音のやさしさや柔らかさの話、それぞれがキープしなければいけないクリック的なタイム感とお互いを聞き合う良さの話。。
音楽の演奏の中でともすれば相反するようないろいろな要素について、ここまでサポートメンバーの人たちと話し合ったりしながら、何度も演奏を重ねられていることはとても幸せなことだなと思った。
それと同時に、あと一歩、もう少しあと一歩進めたら、より次の段階にいけそうなんだけど・・ということも思った。

物語。そこまでいきたい、と思う。
ここでそれについて全部書くことは難しいかもしれない。。

昨年の中国ツアーでとにかく心がけていたことは、とにかくボーカルが聞こえるように、ということと、音がパンチがあったり低音が聞いていたり、、というところから、もう少し繊細な音の細かい粒やタッチが見えるような世界へ、、ということだった。
中国ツアーの最終日に随分そういう感じも出せていたように思う。

今日はどうだったんだろうか。ずいぶんタッチの細かさで他のメンバーと合わせることはできるようになってきたように思う。
でもなんだろう?まだ勢いで押してしまうところ、ちょっとどこか強さに走ってしまうところ、そういうところがまだあるような気がした。でもそういうのが好きな人もいるかもしれないからなんとも言えないのだけれど。
抽象的に物を言うのは難しい。。音がつぶれる、っていうことについてかもしれない。
ほんとうは全ての音がクリアにきれいに出る状況というのがかならずあるはずなのだ。
しかもそこで勢いや強さも死なないはずなのだ。

こういうところで書いていいことかどうかわからない。
でも、なんか今日こんな日記を書いてみようと思ったのには理由もある。

ここからはLampの演奏の話とかからはぜんぜん離れてしまうのだけれど、、、
わからないのだけれど、おそらくここしばらく、おそらく10年近くになるんじゃないだろうか。。ほんとうに言いたいことっていうのを少し言うべきではないのじゃないか、、というか、そんな風に思っていたような部分があるように思う。
あまりに誤解が多かったり、うまく言えなかったりするとそういう風になってしまうのだろうなぁ、と今はわかる。
ずいぶんと思ったことばかり言ってしまうほうだろうから今ぐらいがちょうどいい、と近くの人には言われそうだけど。そして音楽に限ってのことだけじゃないのだけれど。
でも、なんだか不思議なんだけれど、今日ホテルに戻って来て一人でいるうちに、なんとなく、やっぱりほんとに自分がいいと思うことについては言っていかないとだめなんだな、と改めて思った。
思ったと言うか、ぽっかりそれだけが浮かんできたから書いてみた。

何かを言ってもいい、、じゃなくて、むしろやっぱり言わなきゃだめなんだなと。

すっかりおじさんになって、こんなほんとう青いことを書いているのは恥ずかしいのだが書いてしまった。
自分の思っていることばかり声高に言ったり、それを相手がわかってくれるべきだ、と思うのはすっかり間違っているのはもちろんなんだけど、そうではなくむしろ相手は相手の自由があるからこそ、自分がいいと思うことは丁寧に根気強く伝えることもやっぱり必要なんだろうな、と思った。あきらめてはいけないというか。

もちろん音楽という意味ではそれをメンバーに伝えるとしても、それを言葉でなく演奏で伝えられるのがベストだ。
やりたいことがあったらひとりでしろ。という少女漫画の中のセリフがあったっけ。あれは「おんなのこ物語」というバンドについての少女漫画だったな。あの作者がすごく好きだった。

そう、いろいろ思っていること、やりたいことがある。
僕はたぶんやはり、「これがオッケー」という音楽がやりたいのではないのだな、と思う。
こうすればオッケーという音楽ではなく、いつもある意味自信がなく迷い続けてどこかに行く音楽。
そういうことがやっぱりやりたいんだな。
とあらためて思える。

ほんとうに感謝しています。
今日のすべてのお客さんと、Lampのメンバー、サポートメンバーそして、すべての今日のスタッフさんすべてに。
ありがとうございました。お疲れ様でした。

ほんとうはそれぞれの曲についても、それから音についても、思っていることがいっぱいあるのだけれど、一番書きたかったことだけ書いて今日はまずは寝ることにしようと思う。

明日は、岡崎公園で、江州音頭バンドのライブだ。

2018.4.29

2018-04-29 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

不安定な春

春はどことなく不安定だ。
自分もそうかもしれない。そして、なんだかちょっと相談めいた電話やメールも多い。

うまく言えないのだが、、
何かに対して、「こうしたらよいのだ」と考えても、あまり意味がないことが多い。

特に、自分でそう思うのは良いこと(の場合もある)が、それを他の人に話してもほとんどの場合通じない。

人はそういう意味で実はひとりだ。一人ずつ。
でも、ひとりぼっちだという意味ではなく、むしろひとりひとり本当に全く違うということだ。

わかりあえるところがないというのか!、と言われそうだが、
そういう意味じゃなくて、、
うまく言えないが、わかりあえるとしてもそれは「空想の世界で」ということだ。

今ここにいる猫が、向こうにいる猫と全く状況が一瞬一瞬違うように違う。
猫もたまに他の猫と出会って
にゃーお
なーお
と言い合っているが、
それはその時のことで、またそれぞれ、餌を探しに行ったり、昼寝をしたりする。

うまく言えないな。
大事なのは何かを共有することではない、と思う。
普通あまり大きい声でいう人は少ないけど
本当にそうなんやないか、と思う。

やはり、わからない自分以外のものを愛しつつ
それぞれがなんとかやってくしかないのではないか。
理解しあおうということには、ある意味すぐに限界がくる。
だってわからないものなぁ。
自分のことさえ、大して。

・・という今日の感想。
にゃーお。

2018.4.21

2018-04-21 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

深い話が通じるということ・体と遊び・カレー

5月31日の自分の歌のソロライブのためのミーティング。自分で歌のライブをする勇気などでなかったから、今回はプロデューサーの方がついてくれている。しかも二人も。今日は曲目を決めた。
少し深い話。そういう話がきちんと伝わることにはとても喜びがある。
木の葉について、そして、プロデュース、ということについて。
いくつになっても自分にとって新鮮なおどろきがあるというのはとても幸せなこと。

京都女子大学の授業。事務の方に、今度いらした先生は鈴木先生に雰囲気が似てますね。と言われる。60代半ばの相当な経験をお持ちの方に似ていると言われるととても恐縮だが、たしかに、子供に接することをずっとやっているとどこか似てきたりするものなのだろうか。
子供の先生になる生徒たちに一番伝えたいことは、やっぱり「体」のこと。そして「遊ぶ」ということ。でもその中にはたくさんの細かいことが含まれる。ピアノの構造や、音遊びのいろんなネタなど。今年も楽しみだ。

家に帰って宅録をする。前から頼まれていた、歌ものにピアノのバッキングを録音する。この何年かでまたよりピアノの音が好きになっている。もっとピアノの練習がしたい。

久しぶりに料理をする。カレーを作る。一人暮らしをしていたころからよく適当なカレーを作る。久しぶりだ。玉ねぎをじっくりいためて、クミンとハーブを入れて、今日はにんじんとごぼう、だいこん、かぼちゃ、をトマトジュースを入れてじっくりと煮込んだ。トマト缶がなかったので、トマトジュースを使った。ぬかづけを切った。ぬかづけは気をぬいてたら少ししょっぱくなりすぎていた。

昨日のピアノの生徒さんに、肩甲骨の使い方の説明をしたのを思い出す。
いまごろになって甲野善紀さんのワークショップで見たことがいろんなことに生きてきている。
人間の重さというのはすごい。思っているより私たちは、重たいのだ。比喩的な意味ではなく。ほんとうに「重い」。何十キロという重さのものが動いているというのは改めて考えるとかなり驚異的なことなのだ。ほとんどの時間それを忘れて過ごしている。
頭の中で考えるいろいろな「大切なこと」より、ほんとうの「重さ」を感じることがはるかに、「ほんとうの意味でのひとりひとりの重さ」を感じることにつながる。
和田さんから借りた、シコの本も同じようなことを言っている気がする。シコでも踏もう。

2018.4.12.

2018-04-12 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

こどもの環境・ピアノを弾くからだ・声が聞こえるということ

京都女子大の初の授業だった。4回生は幼稚園や小学校の先生になるための試験でピアノを弾かなければならないから、3回生までよりはちょっとピアノに対するいろんな必要がでてくる。
ぼくもそれに対応していろんなことを伝えていかなくてはいけない。

深見先生が東京の大学にうつられて、今日は新しくいらっしゃった神原先生との初の授業だった。国立音楽大学でリトミックを専門にされていた先生。これから僕自身いろんなことを学べるのではと楽しみです。
今日、先生が生徒のみなさんにお話してたこと。
「こどもたちに音楽をしてもらうときは、他のこと、たとえば造形とかお絵かきとかそういうことと一緒で、<環境づくり>が一番大事です。環境ができてしまえば大体あとはうまくいく」というようなことをおっしゃっていて。ぼくは、おぉ!!ほんとうにまさにそうですよね!と心の中で大きくうなづいてしまった。
僕もワークショップをいろんなところでやるようになって、「ほとんどのことは空間配置で決まっている」ということが体感でわかるようになった。
そしてそれは自分が演奏活動をするときにも、大きく影響している。要は自分で選んでるのでなく空間上そうなっている、ということがすごく多いのだ。音楽の場合。
私たちは、どこかで同じ空間の中にいて、物体としてつながっている。

——————

そしてピアノの生徒が今日は2人。ピアノのレッスンは決して知識の伝達がメインではない。それももちろんあるのだが、一番重要なのは、少しずつ「体」が変わっていくことだ。それに関しては知識だけでは伝えられない部分がある。それを、いろんな言葉や身振りを使ってつたえていく。

人の体はすぐには変わらない。

——————

夜、急に雨がふった。強い雨。
最近いろんなことがあった。なんか同じことが何年か前に他でもあったな、と思う。
少し冷静になって考えてみた。
僕が仕事に関して「お金」に関しての情報開示にうるさくなるときというのは、周りから「意外とビジネスライク」と言われたり、「仕事意識が強い」もっというと「お金にうるさい」と思われてしまうことが多い。
しかし、雨の中を歩きながら、ふと気づくと、そういうときに自分が一番警戒してしまっているのは
「無言でリードされたり決められたりすること」なんだな、と思う。
とても生理的な感覚なのだが、自分はそれが「いいこと」であっても、暗黙のうちにリードされたり決められたりするのをすごく嫌うところがある。
どうもそれを表現すると、表現が下手なだけだと思うのだが、「信頼してない」と思われたり、「ビジネスライクすぎる」と思われたりすることがほとんどだ。
ふと気づくと、おそらく自分がほんとに伝えたいことはうまく伝えられてないのだな、と思う。

でも世の中一般的には、「だまってまかせる」というのが信頼の証らしい。
ぼくはそういう文化にはなじまないのかもしれない。

ぼくにとっては、信頼というのはなんだろう・・
と考えてしまった。

たぶん、
お互いの「声」がちゃんと聞こえる、ということ

かな、と思った。そのとき、そのとき。

なぜなら、ほんとうは「私」も「あなた」も同じ空間では溶けていくだけのかりそめの今でしかない。
そこには、優劣がないのはもちろん、ほんとはどちらもいないのかもしれない。
だからこそ、大事なのは頭の中の概念ではなく、いまのあなたの声が聞こえること。

「私はこうです。あなたはどうですか?」

2018.4.11

2018-04-11 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

時代が通り過ぎてしまった


今度、5月31日になんと弾き語りのライブをやります。
そう決心しました。
背中を押してくれる人がいたから、なのですが。
ぜひ見に来てほしいです。

20歳ぐらいの頃からずっと実は弾き語りの曲を作っていました。
もともと弾き語りを目指していたのです。最初は。
でも、あまりに歌の評判が悪く(笑)結局、鍵盤プレイヤーになりました。

鍵盤奏者として生活するようになってからも、どういうわけか
折に触れて、自分のためだけに歌をよく作っていました。
自分だけのための歌。
でも心のどこかでいつかは誰かの前で歌うこともあるかな、と思っていました。多分。

今日だけでは書ききれないいろんな気持ちがあるのですが、
今日書こうと思ったのは、一つ面白いなと思ったことがあるのです。

今回、背中を押してくれた人に、勇気を出して曲を聞いてもらいました。
1曲「団地の道」という曲があるのですが、
僕が20歳の頃に友達に聞かせた時には
「お前、団地とか歌詞に使うのはダサいんじゃないの?」
「四畳半なんとか、、みたいで普通歌詞に使わないよ」
とか言われてすごく評判が悪かったので
そこが大丈夫かなぁ、と聞いてみたところ、全く気にならない、と言われました。

考えてみると、団地というもの自体があまりなくなってしまったのだな、と
気づきました。
考えたら30年近く経っているのだ。

こういうのはなんていうんだろう。
よく「俺は先を行き過ぎて、時代がようやく追いついてきた」
という人がいますが、
その正反対でもともと20歳の頃にダサいと言われるようなことを歌ってた僕は
今も基本的に全くその頃と変わってはいないのだけど
気づいたら、(ダサいという言葉自体もそうだけど、)すっかり時代が変わってしまって
単純に今はもうなくなってしまったり通り過ぎていってしまったことを、
自分ではもうよくわからないまま今歌おうとしているのだろうなぁ、と思うと
少し笑ってしまった。

そんな全く個人的な回顧展のようになってしまうかもしれませんが
それでも興味を持ってくださる方がいらっしゃったら
5月31日の夜を空けておいてください。

よろしくお願いします。

2018.4.3.

2018-04-04 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

三味線。タイミングというのはいつかやってくる。

最近ようやく再び三味線の勉強をまた始めた。
僕は20代後半くらいから、いつもどこかで「日本のルーツの音楽を勉強したい」という気持ちがあったので、ちょこちょこ邦楽の楽器をやろうとしては挫折してきた歴史がある。
そんなわけで、僕の部屋にはずっと、練習用の尺八(竹でなく木でできたもの)、練習用の三味線(猫の皮でなくプラスティックの皮のもの)、練習用の篠笛(竹でなくプラスティックでできたもの)があって、たまに触ったりながい間放ってあったりした。

しかし面白いもので、人生というのは長く、そんな20代になんとかやろうとしてた邦楽の楽器たちに触れる機会がまたやってきた。4年前に始めた江州音頭のバンドで僕はキーボードを弾いている。
いつも右手で三味線の音(やブラスやエレピ、オルガンなど)を出すキーボードを、左手でキーボードベース専用のキーボードを弾いている。そのバンドはベーシストがいないわけだ。
そのバンドで右手で鍵盤で三味線の音を弾いているといつも「本当の三味線だとどう弾いてるんだろう?」ということが気にかかってくる。気にかかってはくるのになかなかタンスの上につみっぱなしの三味線には手が出せずにいた。

不思議なものでタイミングというのはいつかやってくるものだ。僕がその三味線を他の人に少しの間貸していたのを持って帰ってくる日に、一緒だった人が「今行ってる先生を紹介してあげようか?」と言ってくださった。

お、来た。

と思った。本当にいつも不思議なのだが、「やろうやろう」と思ってもなかなかできなかったことが、すごく簡単にできる瞬間というのはいつも突然不意にやってくるものだ。

「ぜひ紹介してください!」と僕は言った。

そんなわけで今日は三味線のお稽古の日だ。
うそものの、練習用の三味線だが、それでも2万か3万はしたんじゃなかったかな。20代後半の僕にとっては大した買い物だった。無駄にならなくてよかったなぁ。

2018-04-03 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

ピアノレッスン・曲作り・オフィスケパサキ

新しいピアノレッスンの生徒さんがきてくれた。

いつものように、
コードの基本。
そして、ピアノの奥が均等に並んでいること。
ピアノの表面を撫でて触ることの意味。
ピアノの鍵盤の深さについて。
ダンスとの関係。
などを説明。

昔から一緒にレゲエのバンドでライブをしたこともある、ボーカルの女性。
ダンスができる人はやはりピアノの触り方を覚えるのが早いなぁ、と改めて思った。

曲作り。Yarnの始動に向けて。
曲を作るのは楽しい。でも大切なことは何か、を考えさせられる。

夜は、オフィスケパサキ。ケパサキのサイトを更新することができた。
そのあとは誕生日会で中村さんがお赤飯を作ってきてくれた。嬉しい。

いろんな話が久しぶりにできてよかった。

—————————————————-
寝る前に思うこと。
人はそのときそのときで思うことが変わる。
調子が良い時もあれば、悪い時もある。
その波によって、目の前にいる人への対応も微妙に変わる。誰しもある程度そんなところがある。

相手が、自分に向かって話しているのか、
それとも、何か「世間」という何か大きなものに向かって話しているのか、
自分が何かその「相手にとっての世間」の一部として話をされているように感じる時、とても孤独に感じる。誰しも多分。
自分も何か大きな分類の一部でしかないのか、、と。

改めてそういう意味で僕はレゲエという音楽が好きなんだなぁ、としみじみ思う。
もう今はレゲエでないジャンルの音楽をやることが多くなった。
しかし、僕にとっての、レゲエは、ジャンルではない。「ひとつひとつへの音へのリスペクトを忘れない」という哲学だ。
それは、全体とは関係がないところで相手をきちんと見ることができるようになる練習のような音楽だ。
優劣はない。キャラだけがある。

どんなに世間の価値が色々変わっても、どんなにすごいものや、すごい人が現れても、
私とあなたの今の関係にはなんの影響も及ぼさない。
いま現在や、いま目の前にいる相手、それ以上のものはどこにもない。
それ以外のことは全て忘れて相手と現在を聞く。それ以外にすべきことは一切ない。
だから、自分も何かより優れる必要は全くない。そんな必要はゼロだ。
そういう意味で自分が、そして相手がある程度ダメであったり月並みであったり、抜けてたりすることは本当にいいことなのだ。それでいいと思っていることがとても重要だ。
「どんなに素晴らしい世界が来ようとも、すごい革命を起こせても、そんなことより自分が自分らしくダメであることの方がよほど重要だ。」
(これは随分逆説的な言い方だけど。)

でも、相手との関係、目の前の音との関係というのはいま、まさにいつもここにある。
それは本当に優劣ではないのだ。いつも。

2018.3.27

2018-03-27 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2018.2.18. やってみないとわからないという老師の教え、そして、カネタタキライブ

昼間は、カネタタキの二人によるワークショップ。
くわしいレポートはこちら。

やはり、簡単そうに見えることや、あほらしいことを、「やってみる」
それがすべてのはじまりだ。そうだなぁ。
今日であった「こども老師」から教わったこと。

そして夜は、しかしやってみなくても、なにかがやってくることがあるのだなぁ、と痛感。

2018-02-20 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

泥の遊園地、大丸ビアガーデン 2017.8.11.

朝6時に京都駅に集合。常滑へ。6年目の「泥の遊園地」。今年は午前中だけの参加。

毎年のように、泥の田んぼ(子供が遊ぶ池)をスタッフが用意する中、僕は演奏を始める。

ペットボトルの太鼓と、空き缶の金物、そしてエアコンのドレインホースを振りながら、片手でケンハモを吹く。

いつもスタートするときは、少しお囃子のような、お祭りの始まりのような、そんな気分になる。

蝉の声、むっとする暑さ、足には蟻やらバッタやらがやってくる。

ちらほら子供たちがやってくる。

少しずつ少しずつ、こどもが恐る恐る近づき、僕の周りの楽器を手にとって鳴らし始める。

 

即興演奏に続いて、さんぽ、にんげんっていいな、なども演奏。ボブマーリーの曲も。ボサノバも。

ミュージアムの館長さんもバンドのバンマスをやってる方。いっしょに楽器を鳴らしてくれる。

イパネマをやりましょう、という館長さん。

イパネマを演奏し始めたら急にこどもがたくさん寄ってきた。

 

京都に戻って、京都大丸へ。

ビアガーデンでアラトーリさんと、スタンダードジャズを演奏。

 

 

 

 

2017-08-14 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2017.7.29 徳島。鳴門こども園さら。尺八とピアノの演奏会+ワークショップ

徳島の鳴門にある、「こども園さら」に、演奏会とワークショップに訪れた。
尺八の岸本寿男さんとの演奏会。
アプライトピアノを演奏した。
午後は、園のスタッフさんのみなさんと音楽のワークショップ。
僕がやってきた「音の砂場」をはじめとして、いろんな音遊びをいっしょにしてもらう。
その後、楽器を壊してしまうこどもについてのお話など。

帰りに徳島の海に連れていったもらった。

2017-08-01 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2017.6.9 おはなしピアノそしてビアガーデン

今日は「おはなしピアノ」の日だった。おはなしピアノは今年の八月で50回を迎えるイベントで、毎月第一金曜日の14時から15時まで京都のゼスト御池(河原町通りと御池通りの交差点から御池通り沿いに西に伸びている地下商店街)の御幸町ひろば(一番西の突き当たりの広場)でやっている無料イベント。

その商店街にある「ふたば書房」さんの西口さんという方が毎回選んでくださる旬のおすすめ絵本を、朗読家のつじあけみさんが朗読し、わたくし鈴木潤がそれに合わせて劇伴のピアノを演奏するという内容。

最大の特徴は、ふたりとも事前のうちあわせなどせず、基本的にその場ではじめて見た絵本をその場で即興で読んだり演奏したりするというところ。ふたりとも次のページで、次のページでいったいストーリーが展開するかわからないままある意味ドキドキしつつ進んでいきます。

毎回7~8冊の絵本の中から次にどの品を読んで欲しいですか?とお客様にお聞きしてすすめていくので、順番も含めてすべてが即興でのイベント。実はその場での2人の朗読と演奏のアドリブ力を堪能していただけるイベントでもあるのですが、そういうある意味マニアックなところに注目してくださっているのはおそらくご自分で朗読家やミュージシャンを目指されている方たちだけで、ほとんどの方はおはなしの内容に引き込まれて、つかの間の物語の世界を味わってくださっているようです。

そして夜は、ヒト夜クラムDUOでん演奏。大丸ビアガーデンでの2回目。これについてはまたの機会に。

2017-06-12 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2017.6.8. 多発性硬化症。ボブマーリー。校歌。

重度の多発性硬化症の方のお宅に音楽を演奏しにいく。ぼくは音楽療法の専門家ではないが、こどもたちの病棟や、障害者の施設、老人ホームなどによく演奏にいったりしているため、頼んでいただいた。
今日はカリンバやいろんな楽器をベッドのまわりにおきつつ演奏をはじめる。部屋の空気をゆらしたり、ベッドの金属やかべ、床などをまず振動させることからはじめて、少しずついっしょの空気感を味わっていく。
リハビリ専門の方、ヘルパーさんの方も、いっしょに場を創ってくださり、だんだん僕自身の緊張もとけていった。
途中、日本のポップスや、レゲエも演奏した。若いころレゲエのライブによく言っていたとお聞きしていたので、ボブマーリーの曲をやってみると、手にもっていた楽器を鳴らしてださった。とてもうれしい。
旦那さまが帰ってきて、いつもより緊張がとれた顔をしていると喜んでくださった。僕の方こそとっても幸せな時間をいただいたと思った。ほんとうにありがとうございました。
次回も楽しみだ。
着いたときと帰るときに、すごく元気に吠えてくれるワンちゃんがいてすごくかわいかった。

ふー、疲れた!と、その方のお宅を出たところで、ひとつとてもひどい内容のメールが届く。そこまでなにかぼくはそんなに悪いことをしただろうか、、と思うようなひどいメール。相手にはそれなりの理由があるのだろう。しばしそれについて考える。しかし言葉は理屈でなくとても人をダイレクトに傷つける。僕自身もそういうのを受けるとかなり長い間立ち直ることができないし、うまくその人と話ができなくなる。わりと恐怖感がぬけなくなるタイプなのだ。
ぼく自身も他の人たちに対して、(たとえどんな理由があるにせよ)傷つける言葉を使わないように気をつけなくてはいけない。

その後ようやく少し立ち直って、「校歌」のプロジェクトの集まりに参加。これについてはまだ内緒。

2017-06-08 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2017.6.7 練習そしてラバダブ。

今日は練習。そして夜は、ラバダブでのライブ。

よく思うのだが、ミュージシャンの一番大事なのは練習だ。もちろん本場も大事なのだが、ミュージシャンの場合、練習の時間確保の重要度が高い気がする。練習時間がとれないで本番ばかりやっているとどうしても枯渇していく。
ぼくは若いころから、音楽を料理におきかえて考えるくせがついている。人が味わうものを創るという意味では同じだからだ。
練習をする時間のないミュージシャンは、料理人でいうと、素材の仕入先をなりゆきまかせにしている料理人と同じだ。どんなに調理自体をがんばってもおいしいものはできないだろう。
ミュージシャンの場合しあわせなことに、(場所による味わいの違いがあるのは否めないが)、ある程度本番でもお客さんと同時に自分もその音(空気の振動)を味わっている。だから、あれ、自分の音がなんだかやせてきたな、、とかそういうことがすぐわかる。仕入れ先を考えなきゃ、、となる。そうなったら練習をしなければいけない。もしくは、練習以外のなにか自分のインプットが必要な場合もある。
これもある意味最近では常識になってきていることだが、なにもないところから無限になにかを生み出す人というのはいない。インプットが必要なのだ。

夜はラバダブ。京都にきてからぼくがやっている唯一の定期的なレゲエのライブだ。レゲエはもっともその「現場」感を大事にする音楽だから、ある意味、その現場を味合わないとほんとうのところがなにもわからない、、というようなところがある。とりたてを食べないと、という感じだ。
ラバダブでの演奏は、かなり荒っぽい演奏になってしまうことが多いが、それでもここでしかできない音が出せている、という実感がある。ありがたい。
来月(7月)だけは第二水曜(12日)ですが、8月以降は毎月第一水曜日の夜、9時半から演奏する予定です。ぜひ遊びに来てください。三条木屋町をちょっとだけ下がった(南にいった)ラーメン屋さんのとなりの階段をおりたところです。チャージなしの投げ銭制です。
オープンマイクで(ある程度誰でも)歌を歌っていただけます。あんまりずっと自分でマイクつかんで離さないとかはNGだけど(笑)。いままできて歌ってくれた方は、「ブルーハーツ」とか「夢をかなえてドラえもん」とかを歌ってくれた方もいました。レゲエのシンガーが来てくれる場合もあれば、その場でどなたかお客さんが歌ってくれる場合もあります。全部ぼくら3人(サックス、ドラム、キーボード)でその場でレゲエにして演奏します(笑)ぼくはキーボードを右手で、左手でキーボードベースを演奏しています。
今日は、「真夏の果実」を男性が歌ってくれました。あとは、みんなで「上を向いて歩こう」「Let it be」「Jammin」などを大合唱しました。すべてレゲエリズムで。
雨なのにほぼお客さんは満杯。よかったです。ありがとうございました。
帰りはタクシーになってしまいましたが、運転手さんが、「最近の京都は夜になると人っ子ひとり歩いてない、、」となげいてらっしゃいました。たしかに人通りが少なかった。
 

2017-06-07 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2017.6.4 へっぽこ音楽祭

片岡由紀さん主催のへっぽこ音楽祭に出演。

上手でないけれど音楽を愛していて一生懸命なにかの楽器を練習してるという人や、プロの場合は自分の得意な楽器ではない楽器で参加するという趣旨の音楽祭。

予想通り、というか、予想に反して、というか(どちらの気持ちもあった)とてもたくさんの人が集まり、ケパサキ(茶山にある多目的スペース)はほぼいっぱいであった。

僕はプロの鍵盤奏者なのでなんか他の楽器で出演して、と頼まれたが、うれしいことに、そして、ちょっと悲しいことに(若干ここにはトラウマが作用している)、ぜひ歌を歌ったらいいのではと周りのみんなに言われた。

ぼくは高校、大学の頃、もちろんピアノの演奏も好きだったが、ある意味それ以上に弾き語りのシンガーソングライターにあこがれていたのだが、20代半ばくらいまでやってきてあきらめて徐々に鍵盤奏者になっていった。なぜあきらめたかというと、いろんなところで歌が不評で、演奏はいいけど歌はちょっとねぇ、と言われ続けたからだ。

ぼくがいろんな鍵盤の演奏の中でも一番歌の伴奏を得意としている(と自負している)こと、実際のところソロの演奏や自分がメインのピアノトリオなどより、人の歌を引き立てるような「伴奏」の演奏の方が評判がいいのもそういうことが関係しているのかなと思う。
結局のところどこかで、あれからずっと「歌」つまりボーカルに憧れ続けているのだ。

そんなわけで、今回もちろん自分としては、人前でかなり久々に歌うということがとてもうれしいことでもありつつ、自分のちょっとしたトラウマと対面するような経験でもあった。

本番に望んでなにが一番びっくりしたか。
ぼくはもう最近ピアノの演奏で「緊張する」とか「あがる」ということがまずほとんどない。ぜんぜんまったくないわけではないが、ひどくあがるということはなくなった。
なので、今回も、歌での出演、ということではあるし、そこに自分の過去のトラウマ的なものがあるにせよ、あがる、ということはないと思い込んでいた。
しかしどうだろう、自分の出番の前15分前くらいから、あれ?あれ?とあれよあれよとどんどんドキドキしてきて、本番はある意味ずーっとどきどきしていた。
こんなにピアノの演奏と違うものかな、と思うくらい、緊張したしあがったしもうせいいっぱいだった。

終わったら、「顔がまっかですよ」と言われた(笑)

しかし、なんだろう。うまく言えないのだが、この日はトップバッターだったので、そのあといろんな人のそういうある意味「ぎりぎりの?」というか、いやある意味「そのまんまの」演奏がいっぱい見れて、ぼくが心の中でずっと思ってたことは、
やっぱりこういうのがいいよなぁ、、
ということでした。

うまく言えないし、うまく言う必要もないと思うのですが、、
まぁ、興味ある人は第2回を見に来てください。きっとあると思います。

写真は、佐藤佳紀さんがとってくださいました。やはり写真のうまい人の写真は違うなぁ。。

 

2017-06-04 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2017.6.1.  ピアノの中を見せる授業


京都女子大学児童学科のピアノの授業。3回生。ぼくのピアノの授業ははじめて。

自宅での教室でもだいたい必ず最初にやるのは、ピアノのふたをとって内部の構造をみてもらうこと。
ピアノには二つのハンマーがある。
まるで鉄琴奏者がたとえば左手でひとつひとつの鉄琴の板を手でさわってミュート(音をおさえること)したり離したりしながら、もう一つの手(右手)で鉄琴をコーンコーンと叩いているようなもの。
その2本の腕を、鍵盤というシーソーでコントロールしている。

そのことがわかると、ピアノのイメージががらりと変わる(人も多い)。
ピアノというイメージはどこかで、オルガンやシンセサイザーと同じように「スイッチ」つまり「押している間音が出て離すと音が消える楽器」と思われてしまっている。もしくは、ピアノは打楽器なんだから「鍵盤を叩くのだ!」という誤解。

楽器に対する誤解が、いろんな腕の固さや、汚い音質の原因となり、、、結果は、ピアノがきらいになる、という繰り返し。そんなふうになってしまってから困って僕のところにやってきた人たちを山ほど見てきた。

今日もそのあたりのことを学生さんたちに伝えたいと思って授業をした。
でも、今日の生徒さんたちはそんなにひどく硬くなってしまっている人たちは少なかった。
よかったよかった。

その後、「へっぽこ音楽会」の練習。これについてはまた後日書きたい。

2017-06-01 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

「ゲシュタルトの祈り」フレデリック・パールズ

(写真は今は亡き、夢吉)

GESTALT GEBET

ゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du –
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

Frederick Perls
フレデリック・パールズ

2017-05-20 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2017.2.17 別府支援学校

別府支援学校

片岡さんと病棟の子供達に会いに行く前の2ショット。
白衣を着てマスクをしないと入れない病棟へ行く。
こどもたちの病室で演奏した。
終わったあと、いつも見られない子どもの表情が見れた、引き出そう引き出そうとしてもいつもでてこない子どもの声が自然に出てきていて泣いてしまった、など、とてもうれしいスタッフの方々からの声をいただきました。
自分としても本当にやりがいのある、そして「音」に繊細になれる大好きな現場でした。

2017-02-17 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

2017.2.11. 雪

京都の雪

京都にはめったに雪が積もらない。
積もっても、すぐに溶ける。
でも今年は何度も積もっている。

京都はとても寒い。
このあいだ仙台に行った時に、まわりのみんなが寒い寒いと言っていたのに僕自身はそうでもないなと思った。
理由として二つのことが思い当たった。
①京都に住むようになって、寒さに強い体になった
②京都に住むようになって、あまりに寒いので下着や肌着を工夫するようになって着込むくせがついた。
①だったらすてきなのだが、おそらく②が大きいのだろうな、と思った。
でも少しは体も慣れてきているのかもしれない。

2017-02-11 | Posted in DiaryNo Comments » 

 

3枚のCD 2017.1.1. (♫ 鈴木潤のオリジナルCDが出ました!)

あけましておめでとうございます!

昨年来は大変お世話になりました。

今年もよろしくお願いいたします。

月日の経つのは早いもので、あと三ヶ月ほどでそろそろ私も50歳になります。そして50歳を目前にして、今年2017年の年始に3枚の自分自身のオリジナル曲のCDを発売することになりました。

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<森の鏡/街の鏡 鈴木潤>
1枚は、ピアノをメインとしたインストアルバムです。
京都大丸デパートの、アミューズボーテというコスメショップのBGMとして使われています。

 

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<カネタタキ/カネタタキ>
ミニキーボードと卓上木琴鉄琴の小さな音のユニット「カネタタキ」の1stCDです。日本家屋にも合う音楽を、とはじめたデュオです。
燕游舎、奥田亮さんの斬新なケースとジャケットです。

 

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<いぬうえくんとくまざわくん/カネタタキ>
人形劇「いぬうえくんとくまざわくん」のために作曲しました。バイノーラルマイクを使って、ミニキーボード、卓上木琴鉄琴のほか、鍵盤ハーモニカ、バス鍵盤ハーモニカ、空きカン、ペットボトル、トライアングルなどを使って作られた音楽。人形劇上映中はスピーカーで流しているのにあまりのリアルな音像に舞台裏に誰かいるかと思ってのぞきにくる人がいらっしゃるほどでした。今回CDにするにあたって、お部屋のBGMに最適になるようにマスタリング仕直しました。
(「いぬうえくんとくまざわくん」は、「平成27年度功労賞社会保障審議会児童福祉文化賞特別推薦作品」に選ばれました)

年明け早々の1月7日(土)に、京都丹波橋で、CD発売記念も兼ねまして、生演奏のコンサート&人形劇、という不思議な組み合わせのコンサート「大人の人形劇ナイト」を予定しております。
小さな音の不思議な音楽「カネタタキ」の世界をどうぞ体験しにきてください。
http://suzukijun.com/2016/12/31/20170107kanetataki/

 

CDは、すべてこちらのCDショップ Yumekichi レコードでご購入いただけます!

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3枚とも全部オリジナル曲です。

50歳目前にようやく自分自身の作品を出すことができること、とても嬉しく思っています。

できあがった自分のオリジナル作品はどれも予想以上にどちらかというと静かでゆったりした音楽になりました。
その中に、いままでのたくさんの音との出会いが詰め込まれているように自分では感じています。特に様々なダンスの現場、こどもたちとの音楽ワークショップ、そして京都に引っ越してからの歌の広場
の経験がとても大きく影響しているように思います。

素材の「音」自体を大事にする作品をこれからも作っていきたいと思っています。
もしよろしければぜひ聞いていただけましたらうれしいです!よろしくお願いします。
そして、いままで長い間ミュージシャンとしてやってくることができたこと、いままでお世話になりました皆様にほんとうに深く感謝しております。
20代にバイトをしながらミュージシャン生活をはじめてから本当にいろいろなみなさまにお世話になりました。これからも変わらず、あせらずたゆまずマイペースで精進を続けていきたいと思っております。

今回のCDのプレスはすべて京都に来てからのご縁でお知り合いになりました、at greenさんという会社にお願いしまして大変お世話になりました。ありがとうございました。
今年も何卒よろしくお願いいたします!!

鈴木潤
suzukijun.com

2017-01-01 | Posted in Diary2 Comments »